運命を受け入れたくない気持ちはよく分かる、でも時には受け入れることも大事
たまに生まれてからすでに運命(将来しないとダメなこと)を持っている人が居ます
例えば歌舞伎役者の息子や寺の息子、神社の息子など
この人たちは必死で運命に抗おうといます、ぼくもその一人でした
でも最終的には運命に戻っていくんだなって最近になって思ったのですこしそのことについて語ります
ぼくは運命を受け入れることにしました
ぼくはお寺の孫として生まれました。
そして、9歳のころに得度という僧籍(僧侶の証)をとりました
この時は甘い言葉に乗せられて得度を受けましたけど、正直この年齢ではこれからどのようなことをしていくのかわかってませんでした。
ていうかわかる人いるんですかね?9歳で
得度式をぼくが受けたことによって寺の檀家さんの中でお寺の後継者は決まったんだなって感じの空気が出来上がりました
そこからがぼくの運命のはじまりでした。
ぼくの運命は「住職になる」ということ、ぼくは高校2年のときに
「住職になる」ということにすごく嫌悪感を抱いてました
その嫌悪感の一番の原因は「社会的なお坊さんの立ち位置」というものが一番にありました
ぼくの場合で言うと毎年お盆のお彼岸の時に各家をひとつひとつ回っているとすごく丁寧に歓迎してくれてお菓子とかお茶とかを出してくれます
ぼくはこれにまず違和感を覚えました
「なんで10代のぼくにこんなにしてくれるのか」と思ったからです
そこからぼくは「住職になる」という運命に抗おうとしました
お寺の行事には参加しないかったり、寺なんか継がんって言ってみたり
でも運命はついてきます、絶対にぼくから離れようとはしない
でぼくはある記事にすごく感銘を受けました
その記事がこれ
最近名前が上がりだした鳥巣さんの記事。
彼女の人生に対する前向きな姿勢と、やる価値があることに率直なところを見てぼくも見習わないとだめだと思ったんです
その結果、今ぼくが置かれてる状況つまり住職にならなければいけないという運命をうまく活用して前向きに率直に愚直に頑張ってみようと思えたんです
運命を受け入れないこと
上でも書いたようにぼくは完全に住職になるということを徹底的に拒絶してました
でも今となっては拒絶する時期がなかったら今のような寺を活用しておもしろいことをしたいと思えなかった
だから今運命に必死に抗おうとしてる人はそれでいいと思います、必死に抗ってください、拒絶してください
どやされるかもしれないし、逆に親の方が受け入れてくれるかもしれない
その結果どうなるかはあなたの気持ち次第です
ぼくみたいに住職になっておもしろいこと、やりたいことを出来そうだと思ったならやってみる価値はあると思います
でも逆にやりたいことは他にあって将来住職になってしまったら到底できないだろうなと思ったらなにがあってもひたすら訴えかけるべき
時には受け入れること
運命というのはすごく残酷なものだと思います
お寺にしろ神社にしろ、古くから伝わるものは総じて世襲制です
運命を受け入れたくなければ「なぜ後を継ぎたくないのか?」っていうのを考えてみてください
それを考えるためには運命を一度受け入れなければいけません
その時にあなたが思ったことが本当にあなたが考えてることだと思います
ただ単に「嫌だから」って理由もあっていいと思います
でも本当に本気で嫌だと思うなら何かしら具体的な理由があるはず
「他にやりたいことがる」「お寺の〜が嫌だ」とかの心の底に何かしらあるはず
そういう具体的な思いが見つかるまでとりあえず運命を一度受け入れてみて考えてみてください
ありがとうございました